北京のこのラッシュアワーは昔の日本を思い出させます。
もちろん今でも通勤されている方は大変でしょうけど、昔からすると行儀がよくなかったもんです。
ちゃんと並んでいる、昔はホームの上はぐじゃぐじゃでした。駅員がロープで列を作っていたりしたくらいです。
やはりこれが成熟した社会っていうもので、↑点字ブロックの上も原則塞ぎません。
誰かに命令されているわけでもなく、極々自然にやっています。
これは何も国家権力に従っているわけでもなくて、社会貢献だとかコンプライアンスという概念がいきわたっているためです。
しかしこれが今ハンスをやっている学生からすると「め○○がこんな所を通るか!揚げ足を取るな!」となります。
そもそも今の時代ではこうした公の道路をふさぐこと自体、「違法行為をしておきながら何が反戦だ!」となってしまう。
しかし彼らからすればこれを取り締まるのは国家権力の横暴となります。
「革命」とはすべてが優先される。
それに従わないのは反動分子(私はいまだに言葉の意味と語感がわからず、使い方が間違っているかもしれませんが)。
毛沢東もかつて述べてますね、革命とは手段を選ばず、暴力を肯定するものだと。
革命とは、客を招いてごちそうすることでも無ければ、文章を練ったり、絵を描いたり、刺繍をしたりすることでもない。そんなお上品でおっとりとした雅やかなものではない。革命とは暴力である。一つの階級が他の階級をうち倒す、激烈な行動なのである
革命を果たすとは、すべてよりも優先されるわけです。
だから、火炎瓶を投げることも、空港を占拠破壊することも、総括というリンチ殺人も正義。
昔も通用しなかったんでしょうけど、まだまだ同世代では同調する人がいました。
しかし今や彼らと同世代の人でさえ、「バカじゃん」の一言。
社会はもう成熟しちゃっているのに、いまだに見果てぬ革命の夢。
21世紀なのに、未だに昭和な人たち。
革命とは、客を招いてごちそうすることでも無ければ、文章を練ったり、絵を描いたり、刺繍をしたりすることでもない。そんなお上品でおっとりとした雅やかなものではない。革命とは暴力である。一つの階級が他の階級をうち倒す、激烈な行動なのである。
革命とは、客を招いてごちそうすることでも無ければ、文章を練ったり、絵を描いたり、刺繍をしたりすることでもない。そんなお上品でおっとりとした雅やかなものではない。革命とは暴力である。一つの階級が他の階級をうち倒す、激烈な行動なので